イスマーイル・セメドが死刑にされ、2月8日の朝刑務所で射殺された


 

  東トルキスタンの首都ウルムチにある「新疆ウイグル自治区国家安全庁監獄」で、2月8日ウルムチ時間朝九時(東京時間12時)に東トルキスタンイスラム党のイスマーイル・セメド(Ismail Semed, 39歳)が射殺されたのである。


イスマーイル・セメドが2001年パキスタンにて撮った記念写真。パキスタンで結婚し、子供が5人出来たが、イスマーイル・セメドが2002年2月5日中国に引き渡されてから、家族は仕方なく帰国し、ウルムチで暮らしていた。今朝また一瞬に未亡人一人、孤児が5人増えた。。。。。

 

 東トルキスタンの自慢な愛国者、戦士、英雄、宗教学者イスマーイル・セメド(ペンネームはイリハム)は1968年4月東トルキスタンのカシュガル地区イェギサル県サーグン郷で農民の家庭で生まれた。子供の時代をサーグン郷の小学校に通って、その後イェギサルの宗教クラスに就学し、イスラム今日のコーラン、アラビア語、アラビア語文法を勉強し、良い成績を取った。イスマーイル・セメドの親が彼を学者にして育てるために、1986年8月カシュガル地区カルグリック県にあるアブドゥルヘキム・マフスム・ハージの私立宗教学校に就学させたのである。イスマーイル・セメドが私立宗教学校でアラビア語、文学、コーランと解釈、歴史、哲学など勉強し、イスラム教の祖国に対する思想、ジハードとその戦闘性精神をしっかり覚え、「侵略者と闘争せずに死んでいくのはアラーの前で犯罪だ」と強い信念を樹立し、中国侵略者に宣戦せずに死んでいくのは本人と東トルキスタン人にとっては悲哀だと認めていたのである。

 イスマーイル・セメドは友達の中で侵略者にジハードを布告する精神を広げていた。彼は中国侵略者によって侮辱されたイスラム教、東トルキスタン国民の尊厳、名誉、本当の解放と自由をジーハードで実現させようと決心し、宣伝したのである。

 1989年12初に、カシュガルのカルグリックにある私立宗教学校が中国当局によって閉鎖、学生たちが強制的に解散された。イスマーイル・セメドが生徒たちを集め、抗議デモを組織し、1990年1月5日カルグリック県人民政府に入り込んで(侵略者に)抗議したのである。

 1990年3月カシュガルのバリン郷に行き、バリン農民武装蜂起の指導者であるゼイディン・ユスップ(Zeydin Yusup)と会い、交流し、支持した。1990年5月8日イスマーイル・セメドは中国侵略者(イェギサル県公安局)によってバリン武装蜂起と関係が有るとの疑いで逮捕され、残酷に拷問された。中国のテロ警察がイスマーイルを殆んど裸にし、体に熱い鉄線を差し込んだり全身を傷だらけにして、「罪を認めてもらおう」としたが、失敗し、彼に3年間の懲役を言い渡し、アクス地区アラル労働教育所(刑務所)に入れたのである。イスマーイルは数百人の優秀な東トルキスタン人と一緒に収監し、拷問されながら不幸な3年間を過ごし、とうとう倒れて、病気になり、1993年1月に解放され、家に見送れらたのである。

 中国侵略者から解放、自由の為に燃えている心の持ち主であるイスマーイル・セメドは払うべきの代価を払わずに行ってしまうのは犯罪だと強い信念を持って、彼の神経はいつも刺激されて、心臓が強く動いていた。1993年7月カシュガル地区イェギサル県公安局長の自宅と公安局に時限爆弾が置かれ、事件がおこった。中国当局は捜査をはじめ、イスマーイルの友達を逮捕し、18年の懲役を言い渡し、1993年8月イスマーイル・セメドを爆発事件と関係があるとの疑いで逮捕し、残酷な拷問を実行し、脱肛させてしまったのである。(脱肛は元々病気の名前ですが、これはひどい拷問でおこした人工的な怪我と言えばいいのか)それほど拷問し、罪を無つけられなかった侵略者警察が彼の手足を縛って、3年間の懲役を言い渡し、カシュガル地区トックザック県ムシ郷にある労働教育所(刑務所)に入れたが、刑務所の警察が拷問で傷だらけになり、意識を失い、身体障害者にされたイスマーイルを受けなかった。当局は仕方なくイスマーイルをイェギサルの田舎の自宅に運んで渡さざるを得なかったのである。

 

中国侵略者、テロ政権の連続的な逮捕、侮辱、圧迫、残酷な拷問に遭ったイスマーイル・セメドは仲間と一緒に1997年1月に海外に逃げざるを得なかった。パキスタンで難民生活を迎えていたが、中国テロ国家の要求とパキスタン悪魔政府(お金をもらえるなら恥でも、兄弟でも売れるペルウィズ・ムシャラフ)の協力によりパキスタンで逮捕され、2002年2月5日とうとう中国に引き渡されてしまった。(中国に売ったのだ)



2002年2月5日から2007年2月8日までウルムチ市の北側にある「新疆ウイグル自治区国家安全庁監獄」で

5年間収監、拷問された。2月7日中国侵略者の国家安全庁から家族に連絡があり、最後一回のみ会わせて

くれるとのことで、2002年2月パキスタンでお別れになった家族は7日刑務所で再会が許され、2007年2月8

日ウルムチ時間9時に射殺されたのである。東トルキスタン国民はイスマーイル・セメドに天国を、家族に慰めと

健康を心よりお祈りしております。哀悼の意を表しております

  

 

ウイグル太郎

2007年2月8日




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