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2008年1月1日
明けましておめでとうございます |
2008年 |
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2007年11月10日
支援金会計報告 |
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2007年11月2日
「ウイグル女性40万人を域外就労」 中国に警鐘 |
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2007年9月7日
東トルキスタン関連映像集 |
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2007年7月11日
中国共産党は1949年以来東トルキスタン国民に何をしてきたのか。 |
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2007年6月17日
第三回国際孤児集会
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2007年5月25日
支援金会計報告 |
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2007年4月15日
カシュガル、バリン郷農民の武装蜂起 |
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2007年2月8日
イスマーイル・セメドが死刑にされ、2月8日の朝刑務所で射殺された
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2007年2月7日
東トルキスタン難民がグルジャ惨劇の十周年に世界各地で反中抗議デモを行った
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2007年2月5日
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2007年2月5日
東トルキスタン難民がグルジャ惨劇の十周年にアンカラにある中国大使館の前で反中抗議デモを行った
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2007年2月4日
グルジャ惨劇の十周年にイスタンブールにある中国総領事館の前で反中抗議デモが行われた
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2007年2月3日
グルジャ惨劇の十周年にドイツのミュンヘンで反中抗議デモが行われた
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2007年1月22日
中国共産党侵略者はウイグル弾圧中に死亡した黄強氏の葬儀をウルムチで大規模に行った。
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2007年1月15日
カシュガル、ホテンの各地で中国侵略者が戒厳令を布いた |
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2007年1月12日
東トルキスタン国民は中国の侵略と覇権主義行為にどう反響すればよいのか
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2007年1月9日
中国侵略者はカシュガル地区バリン郷の隣のコスラップ村で東トルキスタンイスラム党のグループと武力衝突
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2007年1月8日
東トルキスタンイスラム運動グループ18人殺害、17人逮捕 |
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2007年1月2日
東トルキスタン難民はイスタンブールでクルバン祭をお祝いした |
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2007年1月1日
明けましておめでとうございます |
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2007年 |
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2006年12月16日
トルコ在住の東トルキスタン難民が「国際人権デー」に中国侵略者の人権侵害を非難した
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2006年12月3日
東トルキスタン教育協力協会がウイグル難民と青少年に愛国教育と民族教育を行っている |
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2006年11月26日
世界ウイグル会議第二回総会議がドイツのミュンヘンで開かれた
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2006年11月13日
トルキスタンイスラム党は宣戦布告はしていない
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2006年11月12日
イスタンブールで東トルキスタン共和国独立記念日が祝われた |
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2006年10月24日
イスタンブールで東トルキスタン教育・協力協会が設立した |
2006年10月6日
トルコ首都アンカラにある中国大使館で抗議デモが行われた
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2006年10日5日
ラビヤ・カディルがノーベル平和賞の候補者に推薦された
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2006年9月30日
エリキン・アリプテキン著によるウイグル族関連書籍がドイツで出版される |
2006年9月7日
アブドゥジェリリ・カラカシ主席が水谷尚子氏と会談 |
2006年8月18日
イスタンブール展示&会議センターでチュルク人世界コンサートが行われた
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2006年7月17日
目覚めよ! (1921年、トゥルパンにて) |
2006年6月29日
ウズベキスタン政府が5万ドルの賄賂を受け取りフセイン・ジェリリ氏を中国に引き渡した
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2006年6月27日
中国当局はパキスタン在住のウイグル人を告発した
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2006年6月27日
フセイン・ジェリリ氏、ウズベキスタン政府によって逮捕され中国に引き渡された
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2006年6月9日
中国政府がラビヤ・カディルの子供たちを不法逮捕したことに対して
東トルキスタン難民が世界各地で抗議デモを敢行 |
2006年3月28日
中国当局によって“非法宗教分子”という罪名で逮捕されたウイグル人のリスト
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2006年3月8日
東トルキスタン難民が3月8日国際婦人デーにアンカラにある中国大使館の前をデモを行った
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2006年2月5日
東トルキスタン難民がグルジャ事件の九周年にアンカラにある中国大使館の前にて抗議デモを行った
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2006年1月16日
ラビヤ・カディルさんが交通事故で重傷
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2006年 |
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2005年10月18
東トルキスタン亡命政府がら寄付のお願い
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2005年10月11日
東トルキスタンで行われた核実験で75万人以上が犠牲になった
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2005年10月9日
ラマダン(断食)中に東トルキスタンで赤いテロが再び始まった
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2005年10月8日
東トルキスタン亡命政府の日中東シナ海問題について見解
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2005年10月5日
東トルキスタン解放組織天山獅子隊の宣戦布告(日本語訳)
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2005年10月1日
トルコの中国大使館とパキスタン大使館の前で抗議デモ(写真)
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2005年9月28日
東トルキスタン、コルラ市長が自殺
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2005年9月21日
パキスタンで23人のウイグル人がパキスタン警察によって射殺された
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2005年9月19日
ウイグル農民に対するテロ
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2005年9月19日
東トルキスタンで大学生が精神的な圧迫を受けている
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2005年9月17日
東トルキスタンに駐在する侵略軍「新疆生産建設兵団」の“苦しみ”
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2005年8月6日
新疆生産建設兵団で暴動頻発
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2005年 |
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中国(漢族)の東トルキスタン侵略はいくら飾っても西域への侵略である。
1912年、中華民国(国民党)が東トルキスタンを支配するようになってから1929年
まで東トルキスタンの民族教育を閉鎖し全ての学校を閉鎖した。
彼らの植民地支配、圧迫、弾圧に役立つ通訳、翻訳者を育てる”学堂”という学校
しか許さなかった。
その目的は「東トルキスタン国民を文盲にして支配する」という政策である。学堂で
教えるのは中華思想、中国語しかなかったのだ。
彼らは共産党中国の悪い噂を言い続け、彼らの侵略に反対したウイグル、カザフ
などの東トルキスタン国民を弾圧した。
1949年、共産党漢族が東トルキスタン国土に乞食のように入り、”我々はやさしい。
国民党漢族は悪かった。皆さんの国民党への掃除の手伝いをしてから早速帰る”と
誓ったにも関らず、今まで図図々しく滞在し、東トルキスタンの国土、資源を奪いな
がら、反対したウイグル、カザフ、キルギスなど100万人ほど弾圧し、赤ちゃんだけ
を9千万人ほど殺害したのだ。
海外で活動している中国の”民主化”進める漢族は東トルキスタンにとって、独立を
認めるのではなく、また自らをやさしく見せ、東トルキスタン、チベット、南モンゴルの
独立を認めようとしないし、世界を騙そうとしている。
ウイグル民族も、チベット民族も、モンゴル民族も記憶はそんな悪くありません。祖国
とその歴史、民族の伝統を覚えているし、漢族が侵略者である、ということは東トル
キスタン、チベット、モンゴルの国民、それからそれらの土地にいる羊も、野生動物も、
鳥も、山も、河も、砂漠もしっかり覚えている。
全ては漢族侵略者が大嫌い!一日でも早く追い出そうと思っている。
核実験も、人工的な汚染も山から河まで、鳥から虫まで知られている。
土地と財産を奪い、人権を奪い、反対した持ち主を弾圧してきた漢族を許すわけでは
ない。漢族がいくら美人であっても、言葉とシルクがいくら軟らかくても、二度と信じな
いし、漢族を東トルキスタンの土地に一人も残さずに追い出す。
これは東トルキスタン国民の意志であり、目的でり、命を懸けて実現させます。
ウイグル太郎
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漢族侵略者が東トルキスタン、チベット、南モンゴルから(万里の長城の中の
故郷に)帰国し、その中で民主国家を作り、漢民族を豊か、幸せに生活できるよ
うな社会を作り、外国への侵略野望をやめれば、アジアの平和、世界の平和が
実現する。
私達も漢族と中国を尊敬してあげる。
漢族侵略者は<ウイグル>、<チベット>、<モンゴル>という民族名さえ正確
には発音できない。民族名、国名さえ正しく発音できない土地を侵略し、<ここ
は中国だ>、と恥知らずに言い続け、歴史を偽造し、侵略した国家に<新疆>
(Xinjiang、シンジアン)、<西蔵>(Xizangシーザン)、<蒙古>(Menggu、メング)
など、本来の民族名とはちっとも似ていない名を付け、その民族名を<維吾爾>
(Wei wu er,または維族→Weizu)、<蔵族>(Zang zu)、<蒙古>(Meng
gu)と
名づけ、侮辱してきた。
北京共産党侵略者政権は外国と経済、文化、汚い政治関係をするようになって
からこれらの植民地やその民族名をごまかして、言わないようにしている。
まとめて<少数民族>と呼ぶようにしている。外国人や中国国内の漢族が彼ら
の侵略本質を知らないように必死になっている。
アラーは<少数民族>という民族を創っていません。これも民族侮辱です。少数
だから、全員殺しても平気、という意味です。多数の漢族がいるから。これが中
華思想の輝いてきた産物だろう。
日本人も漢族に対して少数民族だし、近い将来の大和自治区の予備リストに入
っているので、気をつけなければなりません。
ウイグル太郎
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