− 東トルキスタンの歴史 -


 
 ウイグル民族はアルタイ山脈から移動した遊牧民でのちに定住農耕民に
    転じたテュルク系の民族です。(漢民族とは別人種)


  
中央アジアの農耕は8千年前から始まり、中国・揚子江下流域の稲作
    農耕は7千年前に始まっています。ウイグル族は突厥民族の中で最も
    早く定住生活を始め、中央アジアの各砂漠にオアシスを建造しました。


  東トルキスタンは歴史上匈奴、ウイグル王朝、カラハン王朝、セイディハン
    王朝、カシュガリヤ国の国土で、その合法的な国民はウイグル、カザフ、
    キルギス、ウズベク、タタール、タジク、モンゴル及び回族です。

 
  
古代北アジアのテュルク系遊牧民が多いことからペルシア語で「テュルク
    (トルコ)人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれていました。

  
代中国人はこの地域を「西域」と呼び、この地の人々を「西蕃」「胡人」
    と呼んでいました。

  
中央アジアとは東・西トルキスタンのオアシス定住地帯のこと。
    現在東トルキスタンは中国の新疆ウイグル自治区。
    西トルキスタンは中央アジア5カ国(旧ソ連領)のカザフスタン・キルギス・
    タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンに分かれています。

ユスプ・ハス・アジプ(1018〜1019年)
カラハン王朝時代の偉大な思想家、学者、詩人。
YUSUP.KHAS.HAJIP and KUTATGHU BILIG
     

     年代            中央アジア(東トルキスタン)   日本
   古代 オアシス農耕文化の発展
紀元前5〜5世紀  匈奴帝国
縄文
 紀元前3〜
 2世紀 
匈奴帝国
漢代には西域36国、のちに50余国といわれた多数のオアシス集落時代
縄文・弥生
 紀元前2〜
 紀元1世紀
匈奴帝国
紀元前121年 前漢の西域河西地方への侵略・4郡を直轄領とする
弥生
 1〜2世紀  後漢・西域経営の失敗
匈奴帝国 西域の繁栄、都市国家を築
弥生
 2〜5世紀 匈奴帝国 独自の文化が開花 後漢・魏・晋との外交的柵封 弥生
古墳時代
 5〜6世紀 モンゴル系の柔然・タリム盆地支配
隋、西域に4郡を設置
墳時代
飛鳥
 6世紀  チュルク王朝 飛鳥
 7世紀 629年 チュルク王朝、唐により滅亡
630年 唐による武力征服
     唐の勢力衰退

744〜804年 ウイグル王朝(ヤグラカル朝)
795〜840年 ウイグル王朝(エディス朝)
飛鳥・奈良
 8世紀 チベットの吐蕃の支配.王位継承をめぐって内乱  吐蕃王国崩壊
840年
 ウイグル王朝
奈良・平安
 9〜12世紀 840年〜1218年 カラハン王朝(西ウイグル王国)
10世紀末より徐々にイスラム教が浸透
平安
 13〜15世紀 1224年〜1328年 モンゴルの領地となる
1284年
 ウイグル王国崩壊
13世紀〜17世紀  モンゴル帝国に服属

セイディハン王朝
鎌倉・室町
 15〜16世紀  明との交流疎遠に
1524年
 カシュガリヤ国
室町・戦国
 17世紀 カシュガリヤ国 江戸前期
 18世紀 カシュガリヤ国
1758〜1759  清朝による侵略
江戸中期
江戸後期
 19世紀 清朝の圧政・収奪により反清反乱頻発・清朝より独立
1884年 清朝による再侵略・占領

     
カシュガリヤ国崩壊    
江戸後期
明治 
 20世紀 1912年  辛亥革命、清朝崩壊
      中国は日中戦争後も国共内戦
      国民党の圧政により抵抗運動頻発
1933年
 東トルキスタンイスラム共和国建国
1944年 東トルキスタン共和国建国
1949年 中華人民共和国のウイグル侵略.
1955年 新疆ウイグル自治区成立
中華人民共和国の圧政・収奪により東トルキスタンの分離独立運動が活発化
大正・昭和
平成
 21世紀
2004年  東トルキスタン共和国亡命政府樹立

平成


  「東トルキスタンの歴史」(19世紀〜現代)
     東トルキスタン情報センター

    http://www.uygur.org/japan/et/2002/12/16.htm

  後漢時代(紀元25-220)の約200年間、東トルキスタン(西域)は「三通三絶」といわれ中国とは交渉も
    断続的にしかありませんでした。
    宋代(紀元960〜1279)に至っては、当時からまったく中国の領土外と見なされていました。


  
                   
                    
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