パキスタンで23人のウイグル人がパキスタン警察によって射殺された

 2005年7月半ばに、パキスタンのワジリスタン (Waziristan)地区Miranshanでパキスタン警察らがウイグル難民3家族23人を射殺した。

1997年2月5日東トルキスタンのグルジャで、ウイグル市民の非暴力デモが中国侵略者によって弾圧された。その後、東トルキスタン全国でウイグル青年が続々と逮捕された。このため、グルジャからヘビブラ(Hebibullah、グルジャ出身)、アブドゥサッタル(Abdusattar,グルジャ出身)、ヌレッティン(Nureddin、アクス地区シャヤル県出身)ら3人がカザフスタンに脱出した。

 亡命した3人はカザフスタン国籍のウイグル女性(実は1962年にも弾圧を恐れた10万人ほどのウイグル人が、当時のカザフ共和国に亡命している。この女性はその亡命者の子孫である)と結婚し、アルマアタで生活していた。

が、カザフスタンはソ連が崩壊し、上海協力機構ができてから、中国侵略者と“協力”し、ウイグル亡命者を中国に引き渡すようになっていた。カザフスタン政府は1998年にハミット・メメット(Hemit Memet)、イリヤス・ゾルドゥン(Ilyas Zordun)、カスム・メグピル(Qasim Meghpir)などグルジャのデモに参加してカザフスタンに逃げた3人のウイグル青年を拘束して中国に引き渡した。

 ヘビブラら亡命者にとってカザフスタンも危険と感じられたので、家族を連れて他国に逃げざるを得なかった。3家族は1998年パキスタンに逃げた。1998年から2004年まで彼らはパキスタンにある国連難民局や欧米各国の大使館に難民認定してくれるよう訴えつづけたが、受け入れられなかった。

 難民と認められず、ひたすら身を隠しながら、彼らは不安な亡命生活をつづけた。1998〜2004年の間各地を転々とし、2004年ワジリスタン(Waziristan)地区のMiranshanと言う町に隠れた。そこでも落ち着くことはできず、2005年7月半ばに安全なところに移動するために、マイクロバスとジープをどうにか手配し、分乗して出発した。
 Miranshanとワジリスタンの間に検問所があり、彼らも止められて厳しいチェックを受けた。ウイグル難民の3家族には60歳、70歳という高齢の女性と、男性5人、女性5人、6カ月〜15歳の子供11人(女の子6人、男の子5人)、合計23人がいた。チェック中にパキスタンの警察2人が、2人の高齢の女性を鉄砲で殴りつけた。この仕打ちを見た男達は警察に抵抗し、周りの市民も集まり騒ぎが大きくなった。この結果、パキスタン武装警察は周囲を包囲し群衆を退けると、23人を取り囲んで全方向から銃撃し、23人全員を射殺してしまった。さらに、彼らの車2台にロケット砲を撃ち込んで、焼いてしまったのだ。

パキスタンの警察が23人を射殺したあと、現場に集まったパキスタン市民は子どもたちの身体からちぎれ飛んだ手足を見て激怒し、警察に猛烈に抗議し、騒乱状態になった。
パキスタン軍と警察当局がさらに現場を訪れ、市民に謝罪し、とりあえずその場をおさめた。それから、ウイグル人の遺体と焼かれた車の灰を持ち去って証拠を隠滅した。この事件は報道管制が敷かれ、パキスタン国内では一切報道されなかった。

この悲しい事件が教えるように、パキスタン政府は中国共産党侵略者政権から与えられる金と引き替えに、ウイグル民族を殺害し、ウイグル難民を中国に引渡しいるのだ。

パキスタン政府は同じイスラム教を信仰している東トルキスタン国民を、つまり、ウイグルムスリムを逮捕し、中国に引き渡している。パキスタンの武装警察や公安警察は平然とイスラム同胞を殺害し、中国独裁・ファシスト政権から賞金をもらうなど犯罪を続けている。パキスタンは中国侵略者が行なっている種族消滅、国家テロ政策の手伝いをしているのだ。

9月19日のロイターによると、虐殺や戦争犯罪、民族浄化などの危機にさらされた人々を保護するため、国際社会が介入する権利に関して、国連総会特別首脳会合で合意が成立したという。中国はこの合意に対して、真っ先に「この権利を乱用することがあってはならない」と強調し、権利の行使について西側諸国をけん制した。

 これは中国が国内で大虐殺・民族浄化を行なっていることの証明である。後ろめたいことがなければ、そんなことをいう必要はない。しかし、日本のみなさまはまさか中国が周辺諸国を金でやとってまで、東トルキスタンやチベット難民の弾圧に協力をさせているとまではご存じないだろう。中国はパキスタンのほかにも、上海協力機構というグループを作って、カザフスタンやキルギスタンのトルコ民族同胞を取り込んだり、ネパールのような小国にアメとムチを使い分けて圧力をかけたりしている。ネパールではチベットの亡命政府のオフィスが閉鎖させられたが、これは中国の圧力の結果である。ネパールに逃げ込むウイグル人も多いが、ネパール当局はそのようなウイグル人をちゃんと中国に引き渡している。

 さらにタリバン政権崩壊後のアフガニスタンにも接近し、アフガニスタン内にいるウイグル難民を引き渡すことを約束させたのだ。

最近ではトルコのようにずっと亡命ウイグル人を受け入れていた国にも圧力をかけているが、それが効果をあげていることは、我が首相がトルコ入国を拒否された件でも明らかである。
http://www.uygur.org/japan/et/2005/0712.htm

日本のみなさまが中国のためと思って、ご自分の血税から中国に行なってきたODAをはじめとする援助は、巡り巡って、中国が我々を殺すためにやとった暗殺者への報酬になっているということをぜひ知っていただきたい。

さらに、現在のように国連で中国の影響力が高いままでは、中国国内で弾圧されている東トルキスタン人はもちろん、そこをどうにか脱出してきた人さえ救えない。
 国連はわれわれの同胞をなかなか難民と認めてくれない。その間にも難民は危険にさらされ続け、この23人のように命を落とす。

さらに運良く難民に認定されても、受け入れてくれる国がない。どこも中国独裁政権のご機嫌を損ないたくないものだから、受け入れないのだ。まるでこの世界が中国独裁政権下に入ってしまったようだ。そして、待たされている間に身柄を拘束され、殺されたウイグル人もいれば、本国に強制送還されて死刑になったウイグル人も多い。
私たちは受け入れていただいて当然だと思っているわけではない。心からお願いしているのである。なぜなら、そうやって国際社会が助けてくれなければ、死ぬしかないからである。中国国内をどうにか脱出しても、どこにも逃げ場がないからである。
国際社会に東トルキスタン難民を保護し、東トルキスタン国内で行なっている中国の国家テロを止めさせるよう、私たちを助けていただきたい。「虐殺や戦争犯罪、民族浄化などの危機にさらされた人々を保護するため、国際社会が介入する権利」をぜひ安全保障理事会の常任理事国である中国に対しても、公正に行使していただきたいとお願いする。

ウイグル太郎
東トルキスタン亡命政府
2005年9月21日

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