中国侵略者はカシュガル地区バリン郷の隣のコスラップ村で東トルキスタンイスラム党のグループと武力衝突

 中共侵略者は1月8日の午後ウイグル自治区公安庁(ウルムチ)で記者会見を行い、「1月5日公安がパミル高原の山間地で東トルキスタンイスラム運動の武装グループと武力衝突し、18人を射殺し、17人を逮捕した」と公表した。当局は事件が起こった地点を「パミル高原の山地」と言い、具体的な場所を隠したのである。東トルキスタン情報センターが1月7日、カシュガル地区バリン郷(1990年4月5日農民武装蜂起があった村)の近くで、東トルキスタン独立組織の地下グループメンバー約50人が反侵略、反テロ、愛国教育を行った基地が特定され、当局の警察と武力衝突したと報道した。当局は2回目の「バリン蜂起」を恐れて、地名まで隠していたのだ。

1月8日,9日アメリカの自由アジアラジオウイグル語部がカシュガル地区バリン郷政府に電話して確認したところ、事件がバリン郷の数キロメートル隣の山間地にあるコスラップ(Kosrap)村であったことが明らかになった。当局は情報コントロールし、東トルキスタン国民には内緒にして入るようだ。

 2007年1月5日 中国侵略者勢力と武力衝突がおこったカシュガルの西南、クルム山脈の間にあるコスラップ村の位置(赤い点はKosrap)

 

  中国侵略者は1月5日東トルキスタンのカシュガル地区で18人ウイグル愛国者を殺害し、武力衝突後17人のウイグル人を逮捕し、訓練所から自家製の手榴弾22個と、未完成の手榴弾材料1500個を押収したのに、1日8日の午後まで情報コントロールし、カシュガル地区、ホテン地区、アクス地区の道路に検問所を設け、ウイグル人村と村の間にまで検問所を設け、身分チェックし、都合のいいように逮捕を始めたのである。

 

  1990年4月5日バリン郷のウイグル農民が武装蜂起を起こした時に、アクス地区から解放軍(侵略軍)部隊を派遣し、弾圧した同時に、侵略軍の兵士もいっぱい死んで、その遺体をカシュガル地区ソロク(Yengisheher)県内にある「革命烈士陵園」と呼ばれる中国人の墓地に埋めていたが、その人数は全く報道していなかったのだ。今回の武力衝突でいったい中国侵略者が何人死んだのか当局は隠しているのだ。バリン蜂起を武装部隊、戦闘機などで弾圧した当局はこの事件の場所さえ隠しているのである。祖国、民族、自由の為に命をささげた優秀な同胞に心より哀悼いたします。家族や親友の無事を心よりお祈りいたします。私たちも最後の一人まで中国侵略者と戦い、東トルキスタンの独立を実現させます。

 

ウイグル太郎

2007年1月9日



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