1949年、中国共産党は隣国チベットに侵攻しました。 弱冠15歳のダライ・ラマ法王は以後国家元首として未曾有の重責を 担い、苦難の道を歩む事になります。
1951年、人民解放軍は首都ラサに進駐、チベット解放を宣言。 ダライ・ラマ14世、パンチェン・ラマ10世の2人の指導者は北京へ赴き、 和平交渉に臨みましたが中国側の強硬姿勢の前に事態を収拾する ことは出来ませんでした。
1959年、法王の身を案じたラサ市民が一斉蜂起。中国軍は群衆に 対する砲撃を開始。ついに法王は国外亡命を余儀なくされたのです。 法王の後に続き約10万人のチベット人が祖国を離れ亡命しました。
中国のチベット侵攻以来、全人口の5分の1に相当する120万の チベット人が殺害され、6000以上の寺院が破壊されました。
中国による不法占拠は今なお続いています。 法王はチベット問題の平和的解決を願い、活動を続けています。
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